|
ルチャーノ小林のオーディオ談義
音
楽は「作曲家」「演奏者」「録音技師」『再生システム』と「聴く人の好み」によって感動がどう伝わるかが異なってきます。オーディオは「生の音楽」には敵
うはずがないので適当でいいのだと言う人もおられますが、最高の「オーディオ銘機」で「名曲」「名演奏」を聴く陶酔は他の何物にも代え難いですよ。
皆さんも、ぼくのオーディオ遍歴をタタキ台にしてオーディオ談義を始めませんか!
▼オーディオマニア:今はある程度の「いい音」は手軽に既製品で手に入るようになりました。ぼくがオーディオに興味を持ったのは中学3年のころで、高校に
入って運動会で使うアンプを学校から頼まれ喜んで設計・制作しました。自分の装置を作ったのは大学に入ってからで、アルバイトで貯めたお金を持って三宮の
星電社に行き部品を買って組み立て、「音」が出てきた嬉しさは今でも覚えています。技術情報はほとんど「初歩のラジオ」「無線と実験」「電波技術」といっ
た雑誌からでした。当時は「いい音」はオーディオマニアの自作だったのです。今後も「いい音」への欲求には限度がないのですが、特にデジタル化の進歩は
「自作の喜び」を奪い、完成品によるハイエンドの「いい音」はとても高価になって手が出なくなってしまいました。
▼よい音の追求:原音再生を忠実にという意味のHigh
Fidelity(Hi-Fi)が音楽再生のキーワードでした。昔は低音や高音がいかに出ているかという「周波数特性」や「歪率」、「S/N比」、「ダイ
ナミックレンジ」などの数字が大きな関心事でしたが、一方、音の「ツヤ」、「透明感」、「ヌケのよさ」、「つぶ立ち」など官能的な評価尺度も持っていまし
た。
▼カラー写真:大きなホールで演奏された音楽を小さな部屋で音量を絞って聞くのは、見たものを小さな写真にして見るのと似ています。忠実な色の再現には
「記憶色」という問題があります。人は実際の色よりも少し彩度の高い色を正しいと認識するからです。聴覚も音圧を低くした場合は低音部と高音部のレベルを
上げた方が正しく聞こえるというラウドネス特性を持っています。
▼Hi-Fiの限界:酒蔵で味わう搾りたての酒の香りは「瓶詰め」ではどうしても揮発してしまいますね。それと同じように「生の音楽」の再現ではなく、昔
のハイエンドオーディオは「缶詰の音楽」を味わう「楽器」のようなものと捉えていました。因みにぼくは、ピアノやボーカルはオールホーン型のタンノイ15
インチゴールドモニターにうっとりし、弦楽器はカラヤンも愛用したアコースティック・リサーチ社のAR-3aの自然な響きに惚れ、長年お世話になっていま
す。装置に対しては不満もあり何とかしたいのですが「個性の魅力」が使い続けている理由かも知れません。
▼ピュア・オーディオ:原則2個のスピーカーを使って音響再生のみを目指すピュア・オーディオに対し、3個以上のスピーカーによるサラウンド音場再生、映
像再生を含めたオーディオ・ビジュアル再生などがあります。それらは多様な音の要素をできるだけ再現したいという欲求です。しかし、例えばボーズがつくり
だす「雑な」人工的音場で満足し、映画やゲームの刺激的なサラウンド音場に慣れてしまうと、オーディオとはこの程度のものと「感動」を忘れ、人間が本来
持っているデリケートな感性を麻痺させてしまう危険があることを知る必要があります。
▼音による情報伝達:よい音とは情報伝達が容易にできる音と定義してもよいと思っています。つまり低音や高音が豊かに伸びて、歪みのない、雑音の少ない
音は情報伝達が円滑にできる。言い換えると情報量が多い音という事です。最近は電話の呼出音が電子音になっていますが昔の電話のベルの方がよく聞こえたと
思いませんか。電子音はサンプリングして情報圧縮して作った音です。美しい生のオルゴールの音はストレスの解消に効果がありますがCDに録音したオルゴー
ルの音を聴いても脳にはアルファ波は現れません。可聴範囲を超えたスーパーオーディオCDが開発されたのもそのあたりの事があるのでしょう。
▼美しい音楽再生を目指して:アーティストが求める「感動」と「共感」は必ずしも「美しい」ものばかりとは言えませんが、「ピュア・オーディオ」は「ディ
テールまで美しく」かつ「全体のバランスも美しく」を目指して進歩してきました。オーディオが多様化してもこの事が不変の目標だと思いませんか。
音楽の「美」を愛する皆さんはどのようにお考えでしょうか?
|
|